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東京都板橋区高島平の1970年代の風景
向こうに見えるのが、地下鉄三田線
徳丸地区から見た高島平地区(徳丸が原)
徳丸は、小高い丘になっている、昔は、荒川の氾濫もあり、高島平には住めなかった。

代表のライフプラン
2000年頃から2020までのミドル・シニアまで

過去
生まれ育った場所
先祖代々の眠る地、室町から平成まで、住んでいた地
話によると、赤塚・徳丸を収めていた千葉氏一族の末えい、江戸時代までは、郷士として、
地域の有力者をしていたようである。
証拠がないのが残念。明治時代の家の前の写真や登記書が、唯一の証拠である。
60年前に板橋区の教育委員会の方々が、祖先の眠る塚を掘らしてくれと来たのを記憶している。
(当時は、私の祖父母が眠る墓は、寺にある墓ではなかった)
掘り起こしたら腐った武具、やり、刀が沢山あったと言う。江戸から明治になった時にすべて、塚
に葬ったと言う。

現在は、塚はなく板橋区管理の小さな公園になっている。
現在は、紅梅山安楽寺に祖先は眠る。
最寄り駅は、東上線東武練馬から20分
昔は、北野神社参道であった。
周囲には、北野小、今はないが、北野高校(現在:有徳高校)がある。その他に昆虫公園、水車公園、
板橋大仏や歴史資料館や赤塚植物園、高島平公園が広がっている。
区民のホットスポットになっている。
板橋区は、川越街道と中山道があり、商業が栄えた地域でもある。大きな町となった大山地区、成増
地区、志村地区ががる。
板橋区の歴史は、よく知りません。今更調べても古文書は、すべてなくなっている。
ルーツ調べもライフプランのひとつではと考え、お墓を作った経緯を調べた。
祖先は、塚で、現在の墓は、昭和になり購入したもの、親戚筋の墓を譲り受け、祖先の骨を埋葬し
たようである。
お寺は、先祖代々の檀家であった。
お寺が記帳しているお布施や葬儀の記録を見せてほしいとお願いするが、個人情報が多いので、出来
ないと断られた。墓を改修した時に、塚からたくさんのお地蔵さんを移動している。お地蔵さんの裏
に書いている年代を調べた。多すぎて、一部は土に埋葬した。残念ながら江戸時代初期まであった。

徳丸の地名由来
大東文化大学調査論文から

高島平の由来
むさしの散歩日記から
幕末には、高島秋帆(たかしましゅうはん:生年寛政10(1798)から没年慶応2.1.14(1866.2.28)
が、砲術練習場として、一部を利用していた。

徳丸が原は、荒川の恵みを受け、河川沿いに広大な農地・田んぼが広がっていた。
春になると肥料としたレンゲ草が一面に広がっていた。
夏になると稲の花、秋になりと稲穂が一面に広がっていた
本当に田舎
当然、埼玉県の川口市(見沼田んぼが有名)、戸田市、浦和地区、大宮地区
川越市、ふじみ野市、志木市、朝霞市、和光市も同様である。

少年時代は、田舎暮らし、裏の林には、かぶとむし、クワガタムシ、カナブンやチョウが、
木の蜜を食べに群がっていた。畑には、バッタやその他の昆虫。また、小動物もいた。
本当に田舎
青年期になると住宅地と変わり、都会になっていった。

ライフプラン研究会
定年10年前の50歳、55歳がこれから何をすべきか考える


2021年現在
コロナウィルスまん延に対処
菜園を楽しむ
埼玉県ふじみ野に小さな菜園を購入(山林を宅地として用意している区画されているが、県から
許可が出ていない。
就職して最初に配属された上福岡工場の側にある。
小さい敷地に
うめ、なし、ゆず、かき、みかん、もも、かりんを植えています。ホームセンターで10年前に
購入、今や大木野菜は、大根、サツマイモ、トマト、うり、ゴーヤなど植えています。

農薬をまかずに虫取りをしていた。過去の田舎暮らしの経験は、生きている。
今は月一程度の管理のため虫に野菜を食われてしまい収穫が少ない。
購入時は、週一管理をしていたので、収穫は多かった。

2019年11月は、2本ある柿が沢山なった。1本は、とても甘い柿、もう一本は、干し柿用で渋い。
2020年6月は、梅の実が多くできた。全部梅酒にした。